本日ふたつ目の記事、前の記事の続きです。
昨日の記事「アスペタイプに世間は荒波?」から
さかのぼって読むと、話が通じると思います。
のび太が高機能自閉症と診断され、
幼稚園に配慮をお願いしたときも、
学校で担任が変わるたび、
「配慮をお願いする文書」を書き直し、
私は何度も、頭を下げます。
「指示は文字で表してください。ゲームや遊びのルールがわからないときも箇条書きにしていただければ・・・。先の見通しができるように予定を・・・。などなど・・・。」
こんなに手のかかる子を
皆さんと一緒に保育していただいて申し訳ありません。
普通クラスに入れていただいて申し訳ありません。
障害のある子を持つ親は、
「配慮していただいている」
「みんなと一緒に遊んでもらっている」感があります。
障害のあることは悪いことじゃないのに。
好きで障害を持って産まれたわけじゃないのに。
のび太が幼稚園のころは言葉も通じなかったし、
「やくそく」「きまり」も理解できなかった。
公園で遊具の順番を待てなくて、
並んでいる子も無視して一番に滑り台を滑ろうとしたり。
そんなときは飛んでいって引きずり降ろして、
ほかの子に「ごめんなさいね。」と言って、
「のび太、並んで順番を守ります」
と、パニック覚悟で並ばせました。
スーパーなどでよく、子供だけお菓子売り場においていくお母さんがいますが
もちろん、のび太にそんなことはできません。
絶対に服や手を引っ張って、目の届くところに居させました。
何をしでかすかわからないのび太。
急に走り出して、知らないおばちゃんに激突するなんて、
しょっちゅうでしたから。
そのたびに「すみません。大丈夫ですか?申し訳ありません」
と、謝ります。
当たり前のことです。
あるとき、療育仲間と話していて、
「え〜私はそういう時、謝らないよ。
『この子、自閉症なので〜』って言うよ」
・・・と。
「だって、仕方ないよ。注意してもわかんないし」
・・・と。
障害があるから許される・・・?
・・・っていうか、そんなことで「自閉症」を盾にされると
自閉症のイメージが悪くならないか???
昨日の記事のコメントで、非公開コメントの方が、
「『支援』という言葉に抵抗がある。
『思いやり』の気持ちがあれば、
それだけでこの子達は支えられる」
・・・といった趣旨のコメントを頂きました。
(非公開なんてもったいない、素敵なコメントでしたが)
障害のあるものが周囲に理解、配慮を求める前に、
ひとりの人間として、
「迷惑をかけたら謝る」のは当たり前のような気がする。
それが障害のある子の親として、
世間への「配慮」「思いやり」だと思う。
だってそこに居合わせた人に、のび太の障害は無関係なのだ。
急にぶつかってきたり、列を乱したりしたら、
いい迷惑なのだ。
だから障害があっても迷惑をかけたら、まずは、
「ごめんなさい」
だと思う。
知り合いの子の学校のアスペのお子さんは
パニックで暴れるらしい。
クラスの何人かにいじめられていたらしい。
辛くなると、あたりかまわず物を振り回す。
で、たまたま、傘を振り回していたら、
通りかかった同じクラスの子の顔に当たり、
目の下が青く腫れ上がったらしい。
担任から事情を教えられ、
「相手方に謝ってください」と言われたアスペの子の母親は
「配慮してほしいから学校にも障害のことを言ってるのに、
ちゃんとこの子を見ていてくれないから、
こういうことになった。
障害ゆえのことだから、謝れない」
と、逆切れされたらしい。
確かにこのアスペのお子さんは気の毒だと思う。
辛さも大変さも傘を振り回したくなる気持ちも
よくわかる。
でも、その前に、まず、怪我を負わせてしまったことに対する謝罪はあるべき、のはず。
いつも頭を下げ続けるのは、辛いです。
でも、学校に配慮をお願いするにも、
学校側は配慮する義務があるとしても、
頭を下げてお願いするのが礼儀のように思う。
本人に悪気はなくても、
たとえ障害のせいでかけた迷惑だとしても、
「ごめんなさい」が礼儀。
それが、他人への配慮。
・・・じゃないだろうか・・・?
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