NHKで放送された「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、開業助産師さんの紹介があった。自宅で録画してあった番組を拝見した。
良くも悪しくも、かつての「勇敢な者たちの時代」の人だよなと思った。駄目でもともとの中から僅かでも救えれば賞賛された時代、英雄的な自己犠牲のみが求められた時代の人だ。サーファクテン以前、1500g未満は助からなくて当たり前だった時代の。
番組のクライマックスで、東京と横浜で同時に陣痛が始まり、タクシーで往復しながら同時進行で分娩介助しておられた。NHKは仕事を同時進行で片付ける超優秀な助産師さんというスタンスでの紹介だったが、陣発中の妊婦さんのそばを離れて早朝の横浜でタクシーを拾う姿は、私には安心して観ていられるシーンではなかった。NICU仕事を終えて帰って観るテレビとしてはもう少し気楽に観られる番組を観たいと思った。複数の助産師が協力して介助に当っていたので、全く誰もいない空白の時間ができているわけではなさそうだったから、赤ちゃんが突然生まれてきたときに介助者が誰もいないという最低の事態は避けられる様子なのが救いではあった。
しかしそんな長距離を行ったり来たりすることに何の意味があるのだろう。いずれも彼女が妊娠中から熱心にフォローしておられた妊婦さんではあるのだが、それならなおのこと、本番で一緒にいられないようでは手を広げすぎなんじゃないだろうか。どこでもドアを持っているのでなければ、東京横浜間というのは一人で気軽にカバーできる範囲ではないのではないかと思う。私は琵琶湖の西岸より東には土地勘がないのでよくわからないが、たぶんタクシーやタケコプターじゃ無理な程度には広いんじゃないかと思うが。
それとも東京や横浜の産科医療崩壊は、こんなふうに開業助産師が東京と横浜で掛け持ち介助をしないとお産が回らないというところまで来ているのだろうか。
お互いに協力を頼みあえる助産師仲間がいるんなら、最初から地理的に無理のない範囲でお互いに分担すればいいんじゃないかと思う。結局この人も「自分じゃなければ駄目だ」という状況を、意識的にか無意識的にか作り上げているのではないか。妊婦さんや周囲の助産師たちが自分に依存せざるを得ない状況を維持するのが、この東京横浜間往復の隠された目的なのではないか。ご本人も意識してはおられないのだろうが。
自分が替えの利かないスペシャルな助産師であるというビリーフに支えられ、このビリーフを自他共に信じるところから生み出されるカリスマに駆動されて、彼女は24時間365日待機の過酷な生活を続けているのだと思う。「私はこちらのお産を看る。あなた済まないけれどそちらを任せた。なにぶんよろしく」と口に出したとしたら、その時点で、彼女の中の何かがカチッと変化するのだと思う。その変化の際に、たぶん不可逆的に失われるなにものかが、彼女が英雄でありつづけるために必要な何かなのだと思う。
残念ながら、この「なにものか」は現代の医療が求める完全性と相容れることが困難である。今は救えて当たり前、取りこぼせば糾弾される時代だ。危うい綱渡りを辞さない英雄性は過去のものである。現代の医療には綱渡りをしなくてもよいような段取りが求められる。英雄の時代ではなく、能吏の時代だ。意識して、この「なにものか」に依存しない医療システムを作り上げる必要がある。持続可能な医療を目指すのならだ。
一部の報道機関の論調には、いまだにこの「なにものか」を崇拝する向きがあるようだが、いい加減彼らには、自分たちが神話時代をノスタルジックに回顧しているだけだということを自覚してもらいたいものだと思う。
それにしても、激務をこらえる産科医を誹謗中傷する行為は許されない。理由は「思慮が浅い」「思いこみが激しい」といろいろあるだろうが、真実を書くのが記者や新聞の義務である。それを忘れてはならない。