広島では、ekuboくん親子が路面電車の旅を楽しんでいる間、私は息子と娘を連れて平和記念公園に出かけました。
今年の8月6日の平和記念式典で出されたばかりの広島市長の平和宣言が、平和記念資料館に掲げられていました。
私は、叔母を空襲で亡くしています。1945年8月6日の未明に私の実家のある瀬戸内の町を空襲が襲ったのです。その同じ日の数時間後、8時15分に広島へ原爆が投下されました。
なぜ、この日だったのでしょう。
空襲にあったとき、叔母はまだ14歳の中学生でした。6人兄弟の一番上の優しいお姉さん。私の父は当時まだ5歳でしたが、B-29の爆撃を受けて戸板に乗せて運ばれるお姉さんの姿が今でも忘れられないと言います。
町の慰霊碑には、叔母の名前が刻まれていて、それを見るたびに、苦しい戦時下にありながらも、きっと希望や夢をもっていたであろう叔母のことを思います。そして、自分が同じ年の娘を持つようになって、その時の祖父母の気持ちがどんなにつらかったか、悔しかったかということも思うようになりました。今は亡き祖父母が、若い娘を亡くした悲しみを背負いながら、戦後を生きていかなければならなかったこと、それはもう、想像もできないほどの苦しみがあったでしょう。
原爆ドームの前の川べりに腰掛けて、平和の鐘の音を聞いていると、涙がこみ上げてくるのを抑えきれませんでした。
平和宣言にこめられたメッセージ 忘れてはなりませんね。
『平和宣言』