子どもの頃から、あちらこちらで表題のように言われて育ってきた。
特に学校でだ。
大体叱責の言葉と一緒だったようにおぼえている。
大抵言われても意味がわからない。
「○○」と言われたらどんな気持がするの?
「はあ、別に…」
「自分が相手の立場だったらどう思うか考えてみなさい」
「特になにも気にしない」
とまあ、かみ合わない。
かみ合わないのはまあかみ合わないのだが、
叱責されているわけで、こっちは頭の中は混乱する。
何でそんなに怒っているのか?
わからないままに叱責され続けることも多かった。
さて…
定型発達者の感じ方とアスペルガー症候群者の感じ方は相当違う。
違いを無視して「相手の身になって考えろ」とか「自分に置き換えてみればわかるはずだ」と叱責されても、何も意味をなさない。
特に「自分に置き換えたら」「何とも思わない」ことも多いのだ。
アスペルガー症候群の児童がこういった叱責を受けることは多いだろう。
教師の叱責が「本当にわからない」瞬間である。
「人に身になって考えろ(…そうすればわかるはずだ)」
「自分と置き換えて考えろ(…そうすればわかるはずだ)」
前提は「同じ感じ方をする」ことである。
でも、同じ感じ方をしないのである。
教育現場では、是非「同じ感じ方をしていない」という前提で
叱っている理由を「説明」して欲しいと思う。