支援アレコレ(其の二)

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Nice!

自閉症の次男は只今、5才4ヶ月。今春、二年間お世話になった保育園を卒園して、長男の小学校に隣接する幼稚園へ加配付きで通園している。平行して通っている療育園のママから聞いた話、もう既に就学活動をしている家庭があると知った。かく言う私も、昨年度中に教育委員会の方と面談しており、今後の就学活動が首尾よく運ぶようにとお願い済みなのだが、それっきりで、就学相談をするにも何をどう相談したらいいのかよく分かっていない、この母。(笑)障害もなく、特に問題がない長男の頃は、就学時検診という存在すら軽視していたものだった。人生の既成の線路に乗り、当たり前に小学校へ就学するのが、それまた当たり前のこととして、その時点の長男には必要の無い複線があることも意識すらしていなかった。子供の人生の線路が複雑になり、進路が分かれる分岐点に着くのはまだまだ先だと思っていたのだ。だから、こんなにも早く子供の人生のポイント切り替え地点にたどり着くとは。(笑)しかし、進路に迷うほどの障害程度でもないというのが実情で、次男の自閉度が、学習面でも集団生活の中でもかなり厄介なのは、この私でもよく分かる。だから、答えがもう出ているのと同じ。次男は、単線・複線ポイントレールが時々にある、長男が進まなかったもう一本の複線を辿ることになるだろう。教育委員会がそれを判定してくれる就学時検診が10月中にあるのだが、現時点で考えるなら、おそらく特別支援学校(養護学校)の判定で、地元の小学校の特別支援級のどちらかを選択する事になるだろうと予測している。昨年度は、非常勤講師として特別支援学校(養護学校)に僅かながらも勤務していたので、次男にとって必要な進路の参考資料が頭の中に入っている。手厚い支援と理解があるこの学校にはとても魅力を感じたものだ。子供の数ほどの教員たちに囲まれ、ほぼマンツーマンの支援を受ける事が出来ていた。ほぼ・・・というところが「味噌」ではあるが。それでもきっと、学校における諸問題においては、孤軍奮闘することも啓蒙活動の必要なく、一般社会に出るまで、おそらくその後も、みんなお互い様の空気の中で程よく育っていくだろう。一方、小学校の支援学級に進路を決めるとどうなるだろう。実のところ、こちらに幾分気持ちが傾いているのだ。地元の小学校に就学するとなると、障害児が小学校に一人きり。この町の隣の学区の小学校では、障害児一人ひとりに教員が付くという有り難い支援体制になっているらしいことも小耳に挟んだ。環境は整っているという印象を受ける。保育園からのお友達も、そのままそっくりエスカレーター式に就学する。交流するにも、環境の変化にはそれほど心配する必要も無い。長男の同級生をはじめ、周囲の子供たちは、たとえ「自閉症」を理解できなくても、「次男」には慣れ親しんでくれている。そして、幼稚園の園長先生は、小学校の転任して来たばかりの校長先生でもある。私も次男も、「環境」が激変する事が無いのだ。しかし、いくら地方の小学校といえど、二百人近くの学童や保護者の理解を得るには難しいものがあるだろうし、好意的に深い理解を得られるとは限らない。長男にとっても、次男にとっても、兄弟としての諸問題が持ち上がることは必至だと思う。さてはて、どうなることやら。別にどの進路を選んでも、どうにでもなりそうな気もするし、なるようにしか成らない気もする。(考えるのに疲れてきたか?笑)次男が、明るく伸び伸びと暮らせる環境を作るのみ。昨年度、保育園では、身辺自立を目指していろんな視覚支援を施して頂いた。次男が一人で動けるように、人の手を借りなくとも出来るようにと支援してきた数々。卒園する頃は、この視覚支援を外しても一人でTPOに添って行動できていた。私も先生も次男が自分で出来る事が多くなったことに喜びを感じ、それを励みに頑張ってきた支援。先生の協力的で積極的な姿勢もあり難かった。適切な「支援」さえしてあげれば自閉症の次男でも、周囲の子供たちと同じように行動が出来るようになると確信したものだった。今の幼稚園ではまだ本格的な視覚支援は無い。しかし、それが不満だということではないのだ。行く行くは、視覚支援がなくとも動けるように、支援外しも考えているので、必要以上の支援は無用と考えている。新しい先生、新しい動作の流れ。新しいもの尽くめの環境では、先生も次男も手探り状態。ゆっくりでいい・・・・。環境を作るのは一方的ではいけない。一年間というスパンで物事を進めては、先生も次男もきっと空回りしてしまうだろう。ゆっくり時間をかけて、次男を理解してくれたら、それからの発車で。人生、長い。次男の笑顔が消えないように。