自閉症啓発デーに自閉症の啓発についてマジメに考えてみる

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Nice!

今日は自閉症啓発デーというものらしい。テーマカラーが青だそうであっちこっちが青く染まると言う話もある。
自閉症に対する理解を促進…ということだそうだが、どうもこのあたり私はピンとこない。
ピンとこないがために今現在多いタイプの自閉症の啓発活動には私はあまり興味がないのだが、なぜピンとこないなのか?という問題について今日は考えてみよう。

世界自閉症啓発デー公式サイト
(まあ、公式サイトのこっちに並んでるご挨拶は「ああお役所ですね」感満載なだけなので特に気にもならない。)

疾病・障害に関する啓発活動

他の疾病等での啓発とはどうなってるのかなと思ったので各種啓発デーのサイトを見てみた。

疾病や傷害に関する啓発活動にはいろいろな種類がある。どうやら次のようなものが主流のようだ。

  1. できるだけ疾病・障害を予防できるように
    • 予防に向けた健康的な生活の普及(一般市民対象)
    • 予防に向けた方法の情報の普及(一般市民対象)
  2. 潜在当事者を発見しやすくするために
    1. 発見を促進するための情報の普及(潜在当事者とその家族対象)
    2. 受診に関する情報の普及(潜在当事者とその家族対象)
    3. 受診に関する不安が少なくなるような情報の普及(潜在当事者とその家族対象)
  3. 疾病・障害当事者が状態を治療したり状態を良く保つために
    1. 治療の必要性を理解しやすくするための情報の普及(当事者対象)
    2. 生活改善のための提言と情報の普及(当事者対象)
    3. 制度改革やバリアフリー化への賛同を得やすくするための情報提供(一般市民対象)
  4. 疾病・障害当事者に対する社会的差別をなくすために
    1. 疾病に対する誤解を解消するためのせ正確な情報の普及(一般市民対象)

まあ、製薬会社の思惑というのが入る余地はないことはないとは思うものの、ほとんどの疾患・障害で啓発活動にさほど違和感はない。
なぜ私は自閉症の啓発活動に違和感を感じてしまうのだろう?

情報の流れから自閉症の啓発を考える

自閉症の啓発に特徴的なものは何か?

結論から言ってしまえば、「一般市民対象の啓発の比率がやたら高い」ということだ。

疾病や傷害に関わる社会的な情報の流れはわりとどの疾病も変わらない。一般的な図をちょっと書いてみた。かなりでかくなってしまったので下の画像はサムネイルだ。クリックして見ていただけると有り難い。
図1
keihatsu01.png

実にいろんなルートで情報の授受が行われる。冒頭に挙げたよくある啓発のパターンもこの中に含まれる。

だが、自閉症の啓発の場合、主だった部分をピックアップすると

  1. 障害の特性に理解して配慮を!
  2. こんな特性があります、理解を!
  3. 差別のない社会を!

とまあほぼこれで終了だ。
またまた図にするとこんな感じ。またもやでかい画像になってしまったのでクリックしてみていただきたい。

図2
keihatsu02.png

残念ながらこれでは一般社会の理解を促進すると反発も同時に増えてくる。

ダイレクトに対峙し過ぎるのだ

「特性を理解して配慮してほしい」と言うのは簡単だが、こと相手が一般市民の場合、出きればいろいろ理解したいとおもったところで、できることには限界がある。
あれもこれもと項目が増えればそのうち「多すぎて無理!」になる。
さらに言い立てれば「差別者扱いするわけ~?プンプン!」とへそを曲げたくもなるだろう。当事者は「差別者扱いされない立場」にいるのでこのあたりには気がつきにくい。

昨日の記事にもちらっと書いたが、配慮を訴えることの内容にもよる。

「嘘に触れるのがしんどいからエイプリルフールの嘘を目に(耳に)したくない、理解と配慮を~!」なんて言った「アホか?」で終わるのはほぼ明白だが、求めるものがそういった「はあ?」と言いたくなるような理解と配慮であれば相手にされなくても当たり前だ。そしてそういうのは結構多いと思う。

医者も支援者もこぞって「周囲の理解が大事」というので、真に受けたくはなるのはわかるし、なかなか理解がすすまないとなれば手を変え品を変え、さらに品数を増やして理解を訴えようという気持ちになるのかもしれないが、あまり得策ではないだろう。

正直いってかなり不毛な構図である。

不毛な構図を脱却するには
あまり得策でないとなれば啓発の方法を考えるといったことは当然必要だとは思うが、それだけでは解決にならないだろう。
なぜなら図1での流れの様々な部分が自閉症の場合では寸断されているからだ。
当事者の状態をよりよくするための啓発などがなければ「理解依存、配慮依存」になるのはある意味当然かもしれない。
だが。生き生きと日々を暮らしている将来像が描ければ「なんでもかんでも理解と配慮」ってな方向性に行きようがないだろう。そしてこれを阻むのは実は「特性は変わらない」という前提である。
特性の断捨離
この前提に縛られていると変わる特性と変わらない特性を分けていくといった方向性にも向かいにくい。
実際のところ、変わる特性というのはある。引きこもり状態で非常に傷つきやすかった当事者がいつの間にかフルタイムで働いていて結構打たれ強くなってたなんてのも結構見てしまった。
私にしてもずいぶんと変わってきた。幼いころからすると考えられないくらい変わっている。思考の癖なんかはまあさほどかわらないが、現実生活で困るのは聴覚過敏くらいであるし、それすら状態は何度も変化してきた。
今現在自閉症の特性と言われているものが本当に自閉症の特性なのか?何らかの原因による二次的な状態像にすぎないのではないか?こういったことの検討をすすめていったほうが良いと思うのだ。まあ、ここまで来ると専門家の領域だ。
どうみても自閉だがあまり困っていない当事者と、困っている当事者の違いを「障害の軽重」と見るのか、「二次的にかかえたリスクとダメージの多さ」と見るのかで事態は大きく変わってくるだろう。こういった研究が進んで欲しいとも思う。

私は発達障害はリスクと捉えた方が良いと考えているので(過去記事参照→「発達障害はリスクで考えると分かりやすい-発達障害支援はリスクマネジメント-」
)、もってうまれた「社会適応の問題として発現しやすいハイリスク体質」をどうマネジメントするかの工夫をこらせば結構楽しく生きることが出来ると楽観的に考えている。

最近では腸内環境といった視点や、感覚統合やボディワークなどの身体アプローチといった視点もある。これからだっていろんな視点が出てくるだろう。

「自閉症は治らないから特性も変わらない」という前提を崩すことで自閉症啓発の新たな方向性も見えてくるかもしれない。

とまあ、「自閉症の啓発」をネタにこんなことを考え自閉症啓発デーが過ぎゆく春の宵なのだった。

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