世の中雑務にあふれている。いや、この言い方は正確ではない。雑多なように見える仕事がいろいろ複雑に絡み合い、それらを人々が分担しあって社会は成り立っている。表面から見えやすい仕事の陰で多くの人の”働き”があって初めて社会が機能する。宅配便が我が家に届くには、荷物を持ってくるいつもの宅配のオッちゃんの働きがあるのはもちろんだが、運送会社の内勤の人達の働きもあるし、配送システムを支える伝票管理システムを作った人、維持する人もいるはずだ。運送会社の経営をしている人も当然いる。オッちゃんの運転するトラックを整備する人もいればそれを作っている会社もまたいろんな人に支えられている。それぞれの人達に家族がいて働く人をいろいろな面でささえ、またその消費活動が経済を動かしており…またそこには…と、まあキリがないのでこの辺でやめておくが、社会はとんでもなく複雑に絡み合っている。低迷する経済状況もあり、あちらこちら余裕のないなかでギリギリのラインで会社が動いているのでギスギスしがちといった話しも耳にする。そんな時代にあって、昨日とてもいい話を聞いた。ブログの記事にしても良いとの許可をいただいたのでちょっとその話を書いてみる。昨日のアスパラガスの会である青年に会った。何回か訪れてくれている彼は三角巾で腕をつった姿で痛々しい姿で現れた、肘の骨を骨折したのだという。痛そう…もあるが、腕が使えないのは何かと不自由だ。そして会社の仕事はどうしているのかな?と気になった。が、もう仕事には出勤しているということだった。昨日のアスパラガスの会のお題は「マルチタスクな要求、どうこなす、どうかわす」といったテーマだったのだが、彼は「マルチタスクも大事だがマルチタス”ケ”が大事」と、熱く語る。聞くと、手の怪我を抱えた状態の彼を上司や同僚がさまざまにサポートしてくれ、仕事を続けられるようにあれこれ計らってくれているのだそうだ。(うーん、いい会社、いい上司だ!)そしてまた、今まで彼がひきうけ、やっていた仕事のあちらこちらを上司、同僚に代わってもらわざるを得ない状況になったこと、それを周囲が快く引き受けてくれていることで、仕事が助け合いで成り立っているということを実感したというような話しをしてくれた。またそのことで「何か自分にできることはないか」とそれまで以上にいろいろ考えるようにもなったとも。「仕事はマルチタス”ケ”(=たすけあい)が大事!」そう熱く語る彼の表情は、痛々しい腕とは対照的にとても晴々としていた。元々とてもまじめそうな青年である。たぶん以前からも仕事への取り組みも真摯だったのだと思う。とはいえ彼にとって仕事での人の繋がりというのは、もしかしたらちょっと捉えにくい部分もあったのかも知れない。怪我という災難を通してではあるが、人と人とが助け合って仕事をしていくといったことが実感されたのだろう。災い転じて福となすとはまさにこのことだ。世知辛いご時世だと言われるが、まだまだ人間も社会も捨てたもんじゃないなと聞いているほうも嬉しくなる話しだった。