こちらのシリーズ記事では、まんが「聲の形」で描かれた、聴覚障害者のヒロインに対するいじめの姿をとっかかりにして、福祉のある近代社会だからこそ生じる、新しいタイプの弱者いじめについて考えています。かなりのんびりとしたペースで連載をしているので、議論の最初の方がだんだん見えなくなってきているようにも思います。ですので、今回は、これまでの議論をいったん整理して、箇条書きでまとめてみるところから始めたいと思います。(前回の記事で、この問題を解決するための最も重要な第一歩についても触れましたので、内容をいったんまとめるにはいいタイミングだと思います。)1)社会における弱者とは、社会から受けられる「利得(リソース)」が少なすぎるために、その社会で生きていくことが困難な人たちのことである。2)近代社会では、そのような「弱者」を支援するために、弱者に利得を再配分することによって、生きていくことの困難を軽減する「福祉」という仕組みが備わっている。3)「福祉」は、弱者であることの認定制度とセットになっていて、その認定は、たとえば「軽度」「中度」「重度」といったような「段階制」となっている場合がほとんどである。4)そのため、その段階認定の境界近辺では、より重い段階の認定を取得しようというインセンティブや、認定が軽くならないように状況改善努力をやめてしまうようなインセンティブが働いてしまうことがある。5)さらに、段階認定の境界近辺では、福祉によるサポートによって、より認定が軽いひとよりも多くの利得を得る層が生じてしまうことがある。6)5)の問題を不公正と考えるような一部の人間によって、弱者に私的制裁を加えることによって、福祉利得による「焼け太り(だと攻撃者が考えるもの)」を無効化するペナルティ(マイナスの利得)を与える動きが生じる場合がある。これが、福祉社会ならではの、新しいタイプの「弱者いじめ」だということができる。7)このようなタイプの弱者いじめは、「弱者がどのくらい困っているのか」という問題を過小評価する、つまり「もともとそんなに困ってないんじゃないか、福祉なんてそれほど必要ないんじゃないか」という誤解を持っていればいるほど起こりやすくなると考えられる。そういった人間が、「最低限の福祉があればいい、それ以上は過剰」と考えて「過剰」だと思う部分を無効化するような「私的制裁」を加えると、実際にはその人が考えている以上に弱者は困っているので、「私的制裁」を受けた弱者は生きていくことが困難になってしまう。8)このような「弱者いじめ」の問題を解決するために、なによりまず必要なことこそ、「弱者がどのくらい困っているのか」という問題を正確にできるだけ多くの人に知ってもらうこと、つまり「社会の理解を深める」ということである。「社会の理解」というと、陳腐で遠回りなようにも見えるが、社会の理解を得る不断の努力を続けていなければ、福祉を充実させていくことはおろか、現状ある福祉を維持していくことすら、困難になっていく。すでに福祉がある社会のなかでは、「福祉がなかったら」という世界を想像するのは簡単なことではなく、「弱者が(福祉がなければ)どれくらい困難な状況になるか」ということは、しっかり伝えて「社会の理解」を得る不断の努力を続けない限り、「弱者といってもそんなに困っていないじゃないか」という誤解を生みやすくなっていく。ところで、このシリーズ記事をもともと書き始めたのは、「聲の形」というまんがのなかの障害者いじめのシーンがきっかけですが、現在もこのまんがは連載中で、最新話である第50話でも、上記に関連する障害者差別、障害者いじめの場面が登場していますので少し引用しておこうと思います。「聲の形」第50話より。聴覚障害により困難を抱えつつ学校生活を送っているヒロイン「西宮硝子」に対し、「(ほんとうはそんなに困っていないのに)『ショーガイを武器にして』人気取りをしようとしているハラグロだ」と怒った別の登場人物(植野)が、硝子を学校から追い出そうといじめを続ける場面です。これもまた、障害者=過剰に保護されちやほやされて、ショーガイを武器にしている人たち、という偏見が、「その保護やチヤホヤを無効化する」形の私的制裁を生んでいるという、今回考えている「いじめの形」をしている例だと思います。(次回に続きます。)※既にまんがの内容とは別のポイントでの議論になっていますが、いちおうまんがのリンクも貼っておきます。 聲の形 第1巻・第2巻・第3巻・第4巻・第5巻大今良時講談社 少年マガジンKC