さて、前回の私的制裁(=リンチ、いじめ)の話で、「本当に困っている人」という概念が出てきました。「本当に困っている人」まで、福祉を提供すべきではないと表立って主張する人は、ほとんどいません(心の中で思っている人はいるかもしれませんが)。「本当に困っている人」にだけ必要な福祉を提供すべきである---福祉の「ばら撒き」に批判的な人は、多くの場合このように主張します。そして、その主張の背景には、「現在は『大して困ってない人』が福祉を受けすぎだ」、あるいは「提供している福祉の量が多すぎだ」という認識があるのでしょう。でも、その「福祉が多すぎる」という認識は、弱者がどれくらい困っているかを自分が勝手に判断して、その結果、「弱者の困っている度合い」を軽く見積もりすぎていることが原因で起こっている誤解かもしれない、というのが、前回までで書いてきたことの1つです。さて、そのような「誤解」に基づいて、「本当に必要な福祉」だけが提供されるような形で福祉が削減されたらどうなるでしょうか。それが、下記のグラフです。黄緑の点線は、弱者の困っている度合いを軽く見積もって誤解している人のイメージする「福祉が与えられる前の利得カーブ」です。(実際よりも、弱者のところの線が非常に高いところにある=困っているということが理解されていない、ことが示されています。)えんじ色の実線は、そのような「誤解」をしている人が考える、「本当に必要な福祉」のカーブです。「弱者といってもそこまで困っていないんだから、これくらい与えれば十分生活できるでしょ」、というカーブで、福祉の量的には非常に少ないものになっています。なぜならば、もともとの「弱者のベース利得」が非常に高く想定されているから、追加で必要な福祉はそれほどいらない、ということになるわけです。このわずかな福祉が提供されるだけで、弱者の最終利得はブルーの線まで引上げられる(だから十分だ)と考えるわけですね。でも、実際には弱者はもっと「困って」います。このような、誤解に基づく「本当に必要な福祉」しか与えられなくなった社会で、弱者が「実際に」得られる最終利得は、オレンジ色の実線のカーブとなってしまいます。これがいかに低い水準に留まっているかは、このオレンジの実線とブルーの実線を見比べれば一目瞭然です。このような「誤解」が蔓延している社会では、・現在、与えられている福祉が多すぎるという「誤解」から、その「もらいすぎ」の福祉を無効化して「公平な正義」を実現しようという価値観に基づき、私的制裁=リンチ、いじめが弱者に課されるリスクが高まる。・社会そのものが弱者への理解を欠くことによって、現在の福祉は多すぎるという世論が強まり、社会が提供する福祉そのものを削減するという社会的圧力が強まる。・しかも、そのような厳しい状況に追い込まれる弱者に対して、むしろ「既得権者」「甘い汁を吸っている」「ラクをしている」といった差別と偏見が蔓延し、弱者にとって生きにくい、居場所のない社会となる。などの現象が生じ、弱者はどんどん生きづらくなっていくでしょう。このシリーズ記事、後半では、このような、社会の福祉があることによって生じるさまざまな問題を解決するためのヒントについて書いていきたいと思っていますが、その「解決編」の第一は、このような「誤解に基づく、弱者にとって生きづらい社会」をどのように変えていけばいいのか、という話になります。(次回に続きます。)※既にまんがの内容とは別のポイントでの議論になっていますが、いちおうまんがのリンクも貼っておきます。 聲の形 第1巻・第2巻・第3巻・第4巻・第5巻大今良時講談社 少年マガジンKC