盗人にも三分の理あり~言葉と正当化

3
Nice!

どこで読んだか、テレビで観たのか忘れたが。
高齢者に不要な物を売りつけたり、不要なリフォームを押し付けたりする訪問販売の会社で、「金は天下の回りもの!」と朝礼で連呼していた。
「金を溜め込んでる高齢者から自分たちが金を取って、つかう方が、『世のためになる正しい経済活動』だ」という理屈を取材に答えていた。

わたしが何を思ったかというと、「やっぱり人間は、自分の行為を正当化しないと、やれないんだ」ってこと。
はたからみたらおかしい理屈でも、とりあえず「自分の行為は正しい。世のためなんだ」と納得できるものをつくりあげてやっている。だから、行為する本人は「自分は悪人ではない」と自分自身を説得しているはずだ。

言葉の力はバカにはできない。
理屈はどんなベクトルにも作成可能。
そのベクトルの向きが、人を傷つけ、尊厳を損なうものではないか? 正しいと思う根拠はどこから来ているのか?──その検証がないと、後悔するハメになる。

逆から見れば、他人が取っている行動が「どんな言葉で根拠づけられているか」を観察することが肝腎で、根っこがわかれば、そこから対処法が見えてくるんだろう。

オウムの事件の頃に、「逆洗脳」という言葉を聞いた。それは、言葉によってハメられたワクを、言葉によってワクを外すというプロセス。ここでも「言葉」がモノを言う。

「正しさ」を志向するのが、人間で。
それぞれの「正しさ」を戦わせて傷つけあうこともあれば、自分が発した言葉の「正しさ」に囚われて動けなくなることもある。