NOといえる(ようになる)療育 (7)

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Nice!

このシリーズ記事の後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションを意識的に教えるにあたっての「難しさ」について、さまざまな角度から考察しています。前回までの過去3回の記事では、「しない」というのは(マンドやエコーイックといった比較的容易な言語行動ではなく)イントラバーバルに相当する、複雑な言語行動だという点について書いてきました。今回からは、「しない」ということばの持っている、それ以外の難しさについても考えていきたいと思います。言語行動としての特性以外で、まず思いつく難しさといえば、「しない」の指し示すことば(行為)が、想像上、イメージでしか存在しない。ということだと思います。なにか、Aという行為があるとして、「Aを『しない』」ということばを考えてみましょう。ここで注目すべきは、行為の対象になっている「A」が、ことば(もしくは絵カード等)で提示されているだけだ、ということです。「A」という行為は、「Aを『しない』」というコミュニケーションを行なっている時点でも行なわれていませんし、その後も、結局最後まで行なわれません。つまり、Aを「しない」というコミュニケーションをするとき、「A」という行為が存在するのは、ことばのうえだけになるわけです。現実世界にはまったく登場しません。ここから分かることは、「Aを『しない』」ということばを理解するための必要条件として、「A」と言われて、頭のなかで(現実に存在しなくても)Aをイメージすることができるようになっていることあるだろう、ということです。そして、「Aと言われてAをイメージし、そのイメージのうえで『するか、しないか』を考えられるスキル」というのは、さらに2つのサブスキルに分解できると考えられます。そのうちの1つは、実際に目の前に存在していたり、現に実行していることでなくても、ことばを見たり聞いたりしただけでその『意味』が分かり、かつそのことばが指し示す対象に対して何かを考えたり判断したりすることができるスキル、つまり内言語スキルです。これは言い換えれば、「ことばを見たり聞いたりして、そのことばの意味を頭の中でイメージできること」とも言えるでしょう。そしてもう1つのサブスキル?は、もっとシンプルな話として、「A」ということばの意味が分かっていることです。これは当たり前のように見えて、少し掘り下げるととても奥の深い話だったりします。(次回に続きます。)