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実家では TVでスポーツを見ることも スポーツ観戦に行くことなど1度も無かったので、スポーツとは縁遠い感じのあった私ですが・・そんな私でも スーパースターのお二人の国民栄誉賞に心が躍りました。感動で 思わず うるうる〜〜 感動で涙がぽろり・・・
マウンド上には スーパースター 長嶋茂雄さん 松井秀喜さん 原監督 そして安倍総理。
こんなすごいシーンを見られることは もう無いのではないかと思いました。
「夢・希望・輝き・・」そして 前進する 強くなる この国の未来を思いました・・・。
背番号「3」長嶋氏、松井氏の投球をフルスイング!=始球式 5月5日(日)
長嶋茂雄・巨人終身名誉監督、ならびに松井秀喜氏の国民栄誉賞授与式がこどもの日の5日、東京ドームで執り行われた。
「3」「55」と描かれた赤じゅうたんの上で行われた表彰式では、安倍晋三内閣総理大臣から表彰状、記念の盾、黄金のバットが贈呈。首相が「長嶋さんが演じた数々のメークドラマに、アンチ巨人の私も手に汗を握りながらラジオに耳を傾けていました」と思いがけないカミングアウト込みの挨拶をしたのに続き、長嶋氏は「本当にありがとうございます。松井くんもいっしょにこの賞をいただいたこと、厚く御礼申し上げます」と、ファンの前で力強くスピーチ。松井氏は、国民栄誉賞受賞者である王貞治氏、衣笠祥雄氏の名前も挙げ、「偉大なお三方の背中を追いかけ、日本の野球の、野球を愛する国民の皆さまの力に少しでもなれるように努力していきます」と誓った。
フォトセッション後、「長嶋」コール、「松井」コールに応えるような形で長嶋氏が左手を大きく上げると、超満員の東京ドームからはひときわ大きな歓声。続けて、長嶋氏がバッター、松井氏がピッチャー、そして原辰徳・巨人監督がキャッチャー、安倍首相が球審を務める始球式が行われた。
「4番サード、長嶋茂雄、背番号3」のコールに呼びこまれ、上半身ユニフォーム姿の長嶋氏が登場。松井は上下ともに2002年以来となるジャイアンツの55番ユニフォームを身にまとってマウンドへ。また、安倍首相は2人から贈呈された第96代内閣総理大臣にちなんだ背番号「96」のユニフォームでホームベースへ駆け寄った。
左手でバットを握って構える長嶋氏に対し、松井が投じたのは山なりの内角高めのボール。これを長嶋氏がよけることなく果敢にフルスイングするも空振り。ボールを打つことができず、長嶋氏はちょっと悔しそうな表情の笑顔を浮かべたものの、国民栄誉賞授与式で実現した夢の“師弟対決”に、場内からはこの日一番の祝福の声と拍手が送られた。
【巨人】松井氏、引退セレモニーで感動のあいさつ
スポーツ報知 5月5日(日)
引退セレモニーで長嶋さんと一緒にオープンカーで場内を一周する松井氏
巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(38)の引退セレモニーが5日、広島戦の試合前、東京ドームで行われた。ファンの前であいさつした後、長嶋茂雄終身名誉監督(77)オープンカーに乗って場内を一周した。松井氏のコメントは以下の通り。
松井秀喜氏「ジャイアンツファンの皆様、お久しぶりです。
2002年、ジャイアンツが日本一を勝ち取った直後、ジャイアンツに、そしてファンの皆様に自らお別れを伝えなくていけなかった時、もう二度とここに戻ることを許されないと思っていました。しかし、今日、東京ドームのグラウンドに立たせていただいていることに、今、感激で胸がいっぱいです。1992年のドラフト会議で私をジャイアンツに導いてくださったのは、長嶋監督でした。王さんのように1シーズンでホームラン55本を打てるようなバッターを目指せ、背番号55番をいただきました。将来は立派にジャイアンツの4番バッターを務めなくてはいけないと思い、日々努力したつもりです。ジャイアンツの4番バッターを任せていただけるようになり、誇りと責任を持って毎日プレーしました。
ただ、その過程には、常に長嶋監督のご指導がありました。毎日毎日、2人きりで練習に付き合ってくださり、ジャイアンツの4番バッターに必要な心と技術を教えていただきました。また、その日々がその後10年間、アメリカでプレーした私を大きく支えてくれました。そのご恩は生涯忘れることはありません。
今日、ファンの皆様に久しぶりにお会いしたというにもかかわらず、再びお別れのあいさつとなってしまい、もう一度、プレーする姿をお見せできないのは残念ですが、これからも僕の心の中にはジャイアンツが存在し続けます。どういう形が分かりませんが、またいつか、皆様にお会いできることを夢見て、また新たに出発したいと思います。
ジャイアンツでプレーした10年間、アメリカでプレーした10年間、いつもいつも、皆様からの温かい声援が、僕に元気を与えてくれました。
ファンの皆様、長い間、本当に本当にありがとうございました」