のび太は「言葉」での表現が苦手。作文を書くのも文章を読解するのも苦手だ。得意の算数でも文章題の意味が理解出来ず間違えたりする。先日、ふと何を思ったか、「サンタさんに手紙を書くの忘れてた!」と言い出した。えっ!?小5でサンタさんに手紙!?と、思われるでしょうが(汗)今回の記事ではそれは置いといて…後ほど(いつか)記事にしたいと思います。そのサンタさんへの手紙も、なんだかんだで一時間くらいかけて書きました。それがこちら↓ああ、下が切れてる・・・「ニンテンドーDSを下さい」と書いてます。たったこれだけの文章を一時間かけて書くのび太(汗)彼の文章力、または言葉の想像力の乏しさ、言葉を絞り出す難しさを理解して頂けると思います。さて、そんなのび太ですが、昨日、唯一の習い事のヤマ○音楽教室の作曲コンクールがありました。ここで良い作品は県大会、地方大会、全国大会と進むのですが、まあ、稀(笑い)作曲はヤマハの音楽教育システムの特徴で私も幼い頃、参加したし、講師をしていたときは生徒を参加させてきたのでのび太が作曲しているのも黙って聞き流すのは至難の技だ。しかし、ヤマハの練習には口を絶対に出さないと決めているのでのび太がヘルプを出してくるまではノータッチ。そうは言ってもさすがに初めて作曲した時は始めのモチーフを提案し、続きもほとんど誘導尋問的に導いていき、8割母の曲(笑)しかし、回を重ねる毎に作り方を会得したのび太は今回は言葉での提案はしたけど100%のび太作曲。それも、なかなかの出来栄え!力強いテーマとテーマを引き立たせるしっとりした優しい中間部。しかしだ!かなりいい曲だがのび太の想像力は自らの演奏技術を超えた(爆)なんて難しい曲を作っちまったんだ!自作曲を思い通りに演奏出来ないジレンマでイライラ。しかし、のび太は不思議な事に「曲の雰囲気を出す表現力」はあるのだ。これは演奏力や演奏技術があるからといって必ずしも表現力が伴っているわけではない。それに、表現力があるからといって演奏技術も伴っているとも限らないのだ。このふたつを併せ持つ稀な人こそ演奏家として成功できるのだろう。そして、習い始めの4,5歳の子でもちょっと演奏を聴けば音楽を教えている人はこの音楽表現力があるのはすぐにわかると思う。私も20年近く音楽教育に携わっているが今までこの力を感じた子は4人しかいない。のび太は5人目。(親ばか)自らの演奏力を超えた自作曲にてんてこ舞いののび太に元ヤマハ講師の母登場!のび太のすごいところは、ちょっとアドバイスするとその雰囲気を想像し、演奏できるというところ。「ここは、ホルンが響くように」とか「イギリスの時計台の鐘の音みたいに」というと「ボク、イギリスの鐘はわかんないな~ お寺の鐘の音ならわかるけど(笑い)」(近くのお寺の鐘が朝晩鳴るのだ~)とか言いつつも、その雰囲気を想像して見事に曲に反映させる事が出来る。で、いよいよ昨日のコンサート。「キンチョーするぅ~!」とか言いつつも、家での練習よりも、気持ちを込めていい演奏が出来てるし。旦那いわく、「のび太、言葉での表現は苦手で何言ってるかわかんないけど (おいおい・・・) 音楽での表現は流暢なんだな。 言葉で表現できない分、音楽で自由に表現できてるのかもね」と、つぶやいた。おおお・・・まったくそのとおりなのかもしれない。神様はやっぱり平等なのかもしれない。それにやはり人間というのはプラスマイナスゼロ。苦手なところがある分、そのマイナスを補うプラス部分が必ずある。それに見つけて導いてあげるのは第一に親。そして、周りの人たちの目線かもしれない。言葉ではうまく言えなくても音楽で饒舌に表現できればいいよね。しかし・・・のび太の演奏力は・・・・・残念ながら、ちょっとね・・・汗いくら言ってものび太は自分のその力のすごさに気づけないのだよね。で、それほど、音楽教室も気合入れているわけじゃないのが残念なところなのだわ(爆)