「障害者」という表記に、こだわる方は多い。で、「障がい者」と改める事が多いようだが、なんで?「害」という字には「害悪」「公害」などの良くないイメージがあるから、とか。へ~?!じゃあ、「障」の字は???「障」の字だって「さしさわり」とか「さしつかえになる」という意味があるし、「障」も「害」も同じだろう?と思うのだが。文字表記だけ変わったところで「しょうがいしゃ」という響きは変わらないでしょ~!という意見も多し。見た目の問題なのか?!そんな事より、ひとりひとりの意識の問題じゃないの?!それじゃあ!と、最近では自治体が『「障害者」という呼称に変わる新たな名称?を募集します!』なんて事をしているところまであるらしい。そういうところに労力と人手を使うよりももっと障害者(あえて、ここは本来の「障害者」を使いたい(笑))のために労働力と人件費を使って欲しいところだと思っているのはきっと、ワタシだけじゃないはず。例えば、「障害者」の呼称が「A」と変わったとする。「A」と変わったら、世間は「A」に対して「障害者」と呼んでいた時と何か意識が変わるのかな?まあ、これからの障害者への意識改革の第一歩として呼称変更をして、障害者福祉の取り組みの画期的でものすごい何かが始まるのかもしれないから、楽しみではある。だって、呼称が変わるだけで世間の意識まで変わるかもしれない、ってことでやってるんでしょう~?!ああ、呼び名が変わったらどれだけ「障害者」(・・・あえて(笑))に理解を示してくれるようになるんだろうと思うと楽しみでワクワクしてしまう~個人的には海外で使われている「チャレンジド」という呼び方が好き。「神様から与えられた試練に挑戦する運命を与えられた人たち」という深い意味があるらしい。少数派を蔑視しがちな日本人にはない発想の言葉だな~と、感心してしまう。今回の記事はあくまでも個人的な見解であり、ワタシのこの意見が絶対的に正しい、とも思っておりません。何せ、少数派の人間なので、おそらくこういう見解も世間的には、ごく少数派だと思われます。まあ、いろいろ個人的なつぶやきを書きましたが、ワタシはこのブログでは不特定多数、世間一般にもわかりやすいようにあえて「障害者」と書かせていただきます。いちいち、変換し直したり、書き直したり、メンドクサイし(笑)不快に思われる方は、さようなら~です(笑)