ベンにとって友達という存在はあるようなのだが、コミュニケーションのレベルからいっても友達を家に連れてくるまでの関係にまで発展しない。本当は友達との付き合いが大変なくらいの時期なのに、誕生会を家でするなどの特別な機会をつくらない限り互いの家を行き来することはないというのはきっとクラスの殆どの子がそうであろう。ベンの弟は良く友達を連れてくる。小学校時代の友達を中心に近所の公園の遊び仲間があるらしく、それぞれ違う中学に通うのだが、いつも仲良く遊んでいる。ベンにとって弟の友達は興味深い存在でもあり、同世代の子供がたくさん家に居るというのはベン一人では決して起こり得ない環境だった。会話をするでもなく、自分の部屋でインターネットに没頭するのだが、賑やかな雰囲気は感じ取っているのだろう。狭いアパートで数人の少年がひしめき合い、ゲームなどをやっているのだが、そんな遊びに加わらないものの、兄としてベンの存在は常にある。そしてそれは、通常考えられる兄としての存在とは違い、遊びに来た友達にとっても不思議で奇妙な行動の多い「友達の兄」なのだ。僕はそんなベンの弟にものすごく感謝している。というのもこの状況を自分に置き換えてみた時に果たして同じ事が出来ただろうかと思ってしまうからで、彼が兄の障害に対してあまりにも自然な状態で居られる事に尊敬の念を覚えるのだ。確かに僕自身も隠し立てをする訳でなく、ベースの生徒がくればベンを紹介するし、リハーサルやレコーディングと家にはたくさんのミュージシャン達が頻繁にやってくる。しかしながら、彼の今の年齢を自分に照らし合わせて考えるとそれだけの平常心が保てるか自信がない。弟はある時さらりと言った。「僕の兄は自閉症なんです」家族を説明する時だったか、実際にベンが居た時だったか忘れてしまったが、あまりにも自然なので気にかける間も無いくらいのスピードで会話が流れる。そんな調子で弟は兄のことを友達に説明しているのだろうか。遊びに来た友達も特に気にかける様子も無く、「ハロー」と言うベンに「ハイ、ベン」と返す。そして、ベンが独り言をつぶやいていようが、手を叩いていようが何の問題にもならないまま弟は友達との時間を楽しむわけで、そこには普通と違う何かを気にかけた様子はかけらも感じられないのだった。物心ついた時から障害者とかかわってきた彼らには、障害者の立場を自然に伝える本当の底力があるように思えてならない。