<はじめに、お詫び>昨日、アップした記事(~受診~)の前のふたつの記事をアップし忘れていました。「急に話が飛んだ~?」と思いつつ、読まれた方も多いと思います。改めて飛ばした記事をアップしましたので、そちらから読んでくださると辻褄が合うと思います。相変わらずマヌケでゴメンナサイ(汗)まとめて読みたい方は「カテゴリー」に「私が診断に至るまで」という項目を設けました。こちら→私が診断に至るまでこちらを逆から辿っていただければ。主治医は、こうも言った。「のび太くんを見ているとね、 こういう子にしては珍しく、『人に対して』笑顔を向けるんだよね。 きっと、大事に愛されて育てられているんだと思います。 それは、母親であるあなたの関わりが大きいんですよ」「のび太くんのことに関しても、 あなたはきちんとした診断名を望みましたよね。 わからないままでモヤモヤしているより、はっきり聞きたい。 あなたは自分に関しても知りたいですか?」そして、私は答えた。「自分ではおそらく、のび太とあまりにも似過ぎているので だいたい想像は付いています。 だけど、ハッキリした診断名をつけられるのであれば 検査をしていただきたい」そして、様々な問診とWAIS-Rの検査の結果、私はアスペルガー症候群と診断された。(詳しい検査結果は記載しません。 ただ、算数問題・数唱・絵画完成が異常に低かったのには 笑ってしまうほどでした)「検査に関して言えば、アスペルガーと言って間違いないでしょう。 ただ、普通に会話している内容から行くと あなたにはアスペルガーの雰囲気が感じられない。 ところどころにあなたが『会話』というものに対して 緊張感を持っている感じが見受けられて、 その緊張感は確かにアスペ特有のものを感じることはありますが おそらくあなたは普段、他人と接する時に アスペ特有の、健常者が感じる「不思議さ」や「違和感」を 発することはないのでしょう。 それは、あなたのこれまでの生い立ちが そうさせているのだと思います。 自分の本来の姿を押し殺して人と接することが当たり前、 そうしなければいけない、という自己否定の上に 今のあなたが成り立っている。 だけど、それは決して「本来のあなたではない」ということではなく そうして生きてきたあなたの歴史は間違っていませんよ。 これがあなたの「生き方」です。 生まれる前から決まっている「宿命」とは違う、 自分で歩いて築いてきた「自己」です。 人として決して間違いではないし、今のあなたは素敵ですよ。」 私は、「自分は人間として間違った考えのダメな人間」と思い続けていた。しかし、この主治医の言葉で、生まれてからこれまでの自己否定感が洗い流されてゆくようだった。そして、主治医は続けた。「この後のあなたの人生の課題は『受け入れる』ことです。 精神的に辛い幼少時代だった、 お母さんと気持ちの上では縁を切った、 だけど、あなたがのび太くんから絶縁宣言されることを 想像してみてください。 そして、もうひとつ、想像して欲しいことがあります。 あなたもアスペルガー、のび太くんもアスペルガー、 ・・・ということは、あなたのお母さんもアスペルガーである、 ということが想像できませんか? そして、あなたのお母さんも、その親から あなたと同じように精神的に抑圧されて育てられてきた、 ・・・これは、あくまでも私の想像ですが。 あなたの話を聞いていると、あなたのお母さんも アスペルガーにとても近い方のように感じるからです。 そして、まだ、医学的には解明されてはいませんが 発達障害は遺伝率が高いのも事実です。 そして、昔はこういう性格のゆがみを障害とは 誰も捉えていなかったために、 あなたの家族のように精神的虐待が世代間連鎖される、 というケースは今、とても多く見受けられます。 悲しいことですが、現代、やっと 発達障害が解明されてきたということは こういう悲しい連鎖を、早く断ち切ってあげねばならない、 という、医学とはまた別の何か大きな運命的な流れも きっとあると思うんです。 だから、私は、今更・・・と、思う方もいらっしゃるけど、 私のところに診察に来た子の親で 精神的に不安定感を感じる方には検査を進めているんです。 それは親を否定するわけでもなく、遺伝を恨むためでもなく、 『誰も間違っていない、 ただ、辛い出来事は後世に伝えてはいけない 親だって愛されたい、じゃあ自分がして欲しかったように 我が子を愛していきましょう』 ということを、伝えたいだけです。」といったようなことを、おっしゃってくださった。目からうろこだった。そして、やはり、想像力の欠如したアスペであった。母親もアスペ・・・なるほど、そう考えればなんだか全てのことが理解できるし、辻褄が合う。確かに、母方の祖父はアスペ色が濃い。やっと、この年齢になっていろんなことが見えてきた。自分に疑問を持ったら行動してみるべきなのだ。そして、「受け入れる」ことがこれからの私の課題、と、主治医がおっしゃったことは、確かに私の課題だと思っている。それは、我が子ののび太に対する「受け入れ」だけではなく、母親に対するものでもあるのだろう。正直言って、精神的にハードルが高い課題だ。しかし、絶対にクリアしなければいけない課題なのかもしれない。こんな、お恥ずかしい過去をさらしていいものか・・・?と、思いつつ記事にしてしまいました。書くことで、改めて自分を知ることにもなり、正直言って、書いて見なければ自分の反応もわからない、と思って、恐る恐るアップしてみました。私のように幼い頃の記憶で苦しんでいる方の参考になれば、とも思っております。個人的で重い内容の長い連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。