娘に、国語の宿題の一環として、いままで狼に囲まれるような経験をしたことがあるかと聞かれた。いきなり突拍子もないことを聞くものだと驚いて、文脈が分からないと答えようもないと言ったら、宿題のプリントを見せてくれた。その文章に曰く、「大草原の小さな家」のお父さんが血相を変えて帰ってきたので、どうしたのかと家族が訊いたら、狼に囲まれたが這々の体で帰ってきたとのこと。そういう家族の苦難を知れば家族としてのあり方も色々と変わるだろうが、君たちのお父さんも家庭の外ではそういう狼に囲まれるような体験をしているのではないか、それを知れば君たちの家族の中での態度も自ずから変わるのではないかと問いかけてあった。そういう例文を貼り付けたプリントで娘の国語担当の先生が問うには、そう訊いたらご家族がどう答えるか予想して書きなさいとあった。娘の予想では「重症の赤ちゃんが生まれたときなどそういう気分になる」と答えるだろうと記入してあった。次の設問が最後の設問だったのだが、その予想をした上でじっさいに訊いてみて、なんと答えたか書きなさいというものだった。娘が予想していた私の回答は、まさに、当初私がそう答えてすまそうかと思ったそのものずばりの回答だった。わが娘ながら親の考えることをそこまで見透かすかと空恐ろしくもあった。ただ、そう答えて済ますのは何だか底が浅くて面白くないようにも思った。そもそも男が門を出たら7人の敵がいるとかなんとか、うそぶいてみれば格好良くもあろうが、しかしそれは本当のところだろうかと思った。少なくとも自分にはそう多くの敵はいないなと思う。周囲を見回しても、非協力的な人とか愚かな人というのはいるけど、敵はない。ごく稀には暴言とか暴力とかに対峙しなければならないこともあるけど、囲まれるというところまではいかない。それに、そういう連中を狼にたとえたら狼に失礼だろう。娘には、重症児の治療は狼に囲まれるようなというのとはちょっと違うと答えた。何故といって、上手くいかないときに死ぬのは向こうだからねと。それにみんな赤ちゃんが元気になることを願ってるんだから、敵って言うのとはちょっと違うよねと。幸いなことに、お父さんはまだ狼に囲まれるような経験はしたことがないよ。言わなかったこともある。まだ医療過誤報道の渦中に巻き込まれたことはない云々とは言わなかった。この秋から冬に予想される新型インフルエンザの大流行では熾烈なリソースの奪い合いになるだろうが、そのときには新手の狼も出るだろう、とも言わなかった。狼に囲まれることに例えられるような状況の具体的な例をあれこれ考えてみるに、どうも娘に対してそういう状況に陥ったということを認めるのが気分良くないような状況ばかりである。狼に囲まれるというのは、囲まれた時点で、喰われる喰われないにかかわらずこっちの負けのように思える。