母のこと

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Nice!
脳梗塞で倒れたのが5/2のこと。ICUに入り、一回は一般病棟に移ったものの、すぐに逆戻り。一度も意識を取り戻してくれることもなく、9日後の5/10の午後10時56分、ヒロキのもとへと旅立っていきました。享年75歳。葬儀は、5/17、18の両日。葬祭場の都合で一週間も空いてしまいました。その間、母はずっと家にいました。たぶん、少しでも長く家にいたかったんだと思います。私のやる無茶苦茶なあれこれを、誰よりも一番応援してくれていたのが母でした。つくしんぼという障害児の放課後施設をつくるときも、ヒロキのためにと映画をつくるときも、まったく反対せず、協力者をどんどん集めてきてくれる人でした。この春の3/4のヒロキの卒業式で、ぼくうみの初のお披露目上映会をやりました。映画を観て、一番喜んでくれたのが母でした。みんなに映画を褒められて、鼻高々だった母でした。この夏の7/14に町田でのプレミア試写会が決まり、一番楽しみにしてくれていたのも母でした。定員の都合でヒロキの卒業式に呼べなかった大勢の友人や知り合いたちに、宣伝用のハガキを配って営業活動をしまくってくれていた真っ最中でした。たった一回だったけど、母に映画を観て貰えて、間に合ってよかったなと思ってます。もしかしたら、母の寿命はもう少し短かったのかも知れません。映画の完成よりも前だったのかも知れません。でも、ヒロキが頑張ってくれて、撮影のときの天候と同様にちょっと無茶をして、映画の完成まで死期の順番を遅らせてくれた…のかも知れません。なんか、今はそんな気がしています。四十九日に納骨をする予定です。そのとき、部屋にあるヒロキも一緒に納骨しようと思います。大好きだったバアちゃんが一緒なら、ヒロキも淋しくないだろうし。。。向こうへいってしまったけど、向こうにはヒロキがいます。きっと一緒になって、家族のことを応援し続けてくれると思います。映画を完成させた私は、今度は映画を公開を絶対成功させるつもりです。母と長男、二人が背中を押してくれているのだから。。。生きててナンボの人生です。淋しいけど、生きてる奴がバトンをつないでいくしかないです。