のび太の意思と生きる力

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Nice!

この記事は前回の続きです。そちらをご覧になってから読んでくださいね。何故、昨日の記事のような、昔の出来事を思い出したかというと・・・・・実は、ある人にこんなことを言われました。「障害があるんだから、やっぱりなるべく将来、楽なように、今のうちに頑張って受験のある中学校に入った方がいいんじゃないか?のび太くん、勉強好きみたいだし、好きなうちに頑張らせて、中学入試突破すれば高校受験しないで楽できるじゃない?」実はのび太にも以前、聞いたことがあった。「中学受験、してみたい?」「ボクはみんなと一緒にのび太中学校(公立)に行く。 ボクは好きな勉強だけやりたいんだ。 今は漢字と好きな算数と歴史だけが好きだから ほかの勉強まではしたくない。 高校に入るときはみんなと一緒に受験勉強する」と。実際は文字にするほど流暢ではなく、相変わらずたどたどしく年齢の割には幼い話し方で正確には どもったり、つかえたり、いい間違えたりしながらの返事でしたが、のび太にしては、とても論理的でしっかりした文章で語った。それで、中学受験を勧めるある人に、そののび太の言葉を代弁し、さらに私たち親も、のび太の考えを尊重したいと話した。しかし、中学受験を勧めるある人は、「のび太くんの言い分は所詮、子供の言い分。障害があるんだし親がしっかり導かないでどうするの?!」と・・・。えええ?子供の言い分って尊重されないんですか?障害があるからって、本人の意思に反して、何かを強要したりしていいもんだろうか?違う!そんなのおかしい!「私たち(夫婦)は、のび太が興味のあることは出来る限りはなんでもさせてあげたいと思っています。だからといって、何かを無理にさせたり、強制したりしたくないです。もちろん、助言はするし、のび太が明らかに間違っているときはちゃんと正していこうと思っています。でも、中学受験に関してはのび太の考えになんら間違いもないし、のび太には『今』を楽しく好きなことをいっぱいさせて過ごさせてあげたいんです」中学受験を勧めるある人は、私の話にあきれたように大きくため息をついて、「世の中、障害のある人がたやすく生きていけるような時代じゃない。普通の人たちだって生きていくだけで大変なんだ。好きなことだけやって生きていけるほど甘くないんだ。それに今は特別支援かなんだか知らないけど、随分、障害のある子供も優遇されているけど、特別支援は所詮、学校に居る間だけなんだよ。いつまでも誰かが手を差し伸べてくれるわけじゃないんだ。」ここまで言われて、もう、話を続ける気力はありませんでした。気が遠くなりそうでした。私は今まで、前回の記事で書いたように、今日を穏やかに生き生きと過ごす日々が明日も続くこと、それがずっと先の将来に繋がっていくと信じて、「今」を大切にのび太に接してきたつもりでした。・・・と偉そうに言い切っていますが、その思いに確固たる自信があったわけでもなく、「誰もがそうであるべきだ」といった押し付けでもなく、「のび太の親としての私たちの考え」として、そういう一念でここまで来ました。だけど、それを根元から覆されたような気持ちでガックリきてしまいました。ふぅ〜・・・私は自分に自信がないからでしょうか・・・?自分の考えに自信のある人との会話は疲れます。でも・・・私はのび太の「生きていく力」を信じている。今、のび太が笑顔でいることが、きっと、未来ののび太の笑顔に繋がっていると思っている。私たち夫婦の元にのび太が生まれてきたのは きっと、「この人たちは自分を信じてくれる」と思ったからじゃないのかな?ねえ、のび太。そうでしょ?