続き。
高校生のときです。
クラスの女子の間で小さな事件が起こりました。事件と呼ぶには程遠い、本当に小さな出来事ですが。
なぜか私が犯人という噂が広まり、皆に責められました。
でも私は真犯人を知っていました。
嘘の噂を広めたのは彼女だとすぐに気付きました。勉強も運動も出来て学級委員なども務めるような子です。
優等生の彼女は自分の評判を下げたくなかったのでしょう。
そして、私が本当の事(彼女が真犯人)をペラペラ喋る子では無い事、私が怒ったり反抗する子では無い事、頭のいい彼女は全部計算済みだったのでしょう。
私は彼女の計算通り、本当の事をバラさなかったし、反抗もしませんでした。
でも、もう学校には行けなくなりました。
初めて「不登校」というものを経験しました。
先生や親には不登校の理由を聞かれても黙っていました。
自分の表現力に致命的な欠陥がある事を痛いほど自覚していたからです。黙っているのがいちばんだと思ったのです。
でも不登校の理由を、親も先生も「怠け」としか受け取ってくれず、学校へ行くように何度も促されました。
そこで私はとんでもない行動に出ました。
自分の顔をカッターで何箇所も切り付けました。
言葉で表現できない私は、こんなことで表現するしか方法が無かったのです。
親に診療科へ連れて行かれました。
心療科へ行ったのはこの時が初めてです。
その時に医者が私に下した病名は、対人恐怖症。
もし発達障害が知られている時代だったならば、医者はアスペルガーの疑いを口にしただろうか。
アスペは生まれつきの障害だから、この時も私はアスペルガーの症状を持っていたはずです。
でも誰も気付かなかった。医者も別の診断名を下す。
そんな時代でした。