聲の形 第1巻(まんがレビュー)(5)

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「障害者へのいじめ」というデリケートなテーマを扱った、気鋭の漫画家大今良時氏の話題作、「聲の形」のレビュー(単行本1巻および連載中の内容までを含んでいます)記事、今回でシリーズ記事として5回目になります。

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聲の形 第1巻大今良時講談社 少年マガジンKC(上が楽天BOOKS、下がAmazon)※連載中の内容まで含む、ネタバレの内容を含んでいますので、未読の方はご注意下さい。さて、前回までのエントリで指摘したように、硝子は将也との「最後の大ゲンカ」の結果として転校せざるを得なくなったという経験から、「自分のありのままの感情を表したら、周囲は拒絶する(だからありのままの感情を表してはいけないんだ)」という、恐らく幼いころから繰り返し叩き込まれてきた「呪い」を改めて学習してしまったのではないか、と考えられます。そう考えるならば、再転校したあとの硝子は、その「学習」をふまえてさらに強固に「殻」をまとい、その「殻」に守られながら(つまり、自分の本当の気持ちを表さずに「善良な障害者」を演じることによって)生きていくという選択を明確にとることになった(とらざるを得なかった)のだろう、と容易に想像できます。それはまさに、「健常者に迷惑をかけず、反抗せず、健常者の傘の下で善良な障害者として庇護を受け、誠実に努力している姿を見せることでその庇護を失わないよう振舞う」という、「名誉健常者ロールモデル」を、硝子が明確に選択したのだ、ということを意味します。現時点で、再転校後、将也と出会うまでの間、硝子がどのような人生を歩んでいたのかはまったく描かれておらず、謎に包まれていますが、現時点での私の読解としてはそうなります。そうやって、「天使のような障害者」としてある意味器用に、要領よく生きることを選択し、その枠のなかで5年間を生きてきた硝子の前に、かつてその殻を揺さぶった将也がふたたび現れたわけです。ここが、単行本第1巻のクライマックスです。そして、ここで非常に興味深いのは、そういういきさつがあって現れた将也に対し、今のところ硝子は「殻をまとった状態で」対応している(ようにしか読み取れない)、ということです。(ここからは単行本2巻以降の連載中の内容になりますが)もちろん、高校生編の(さらには小学生の頃も含めて?)硝子を、ただシンプルに人のいい、5年もブランクを開けて突然現れた将也にさえ、あたかも母親のような優しさで接する聖人のような存在としてとらえることも、できないことはないでしょう。でも、だとしたらこの物語はご都合主義すぎるでしょう?そんなお花畑みたいな人間がいるわけがないし、そんな安易な人間を描くことが目的で、大今氏がこの物語を何年も何年も世に出すために温めてきた(そしてマガジン編集部がそれを受けて連載にまでこぎつけた)とは思えないのです。だとすれば、このあとのストーリーで、必ずその「殻を破る」どんでん返しがどこかで起こるはず。それは、聖人のように優しかった硝子が何らかの形でその「優しさ」を捨てる、あるいは「わがままをぶつける」「感情をぶつける」ようになる展開だと考えられるでしょう。それは、表層的には「硝子の性格が悪くなった」みたいに読めるでしょう。でもそう読んでしまったら、その読者さえも「呪い」をかける側、「名誉健常者ロールモデル」を押し付ける側、「キラキラ差別」を行なう側に立っている、ということになるのではないでしょうか。この「聲の形」は、もしかすると、呪いをかけられた少女がその呪いを解き放つ、というストーリーになるのかもしれない。そういう展開になっていくのか(あるいはそんな風にはならずに、割と平凡なステロタイプの障害者像とのボーイミーツガールラブコメに留まるのか)、それを私は楽しみにして、連載を読んでいます。(次回に続きます。)