NOといえる(ようになる)療育 (8)

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Nice!

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。前回、「しない」ということばの対象となる行為が実際には存在しない、というのが、しないということばの「難しさ」の1つの大きな要素になっている(だろう)、ということについて触れました。つまり、するかしないかを聞いている時点でも、その「行為」は行なわれていないですし、その質問に対して「しない」と答えた場合には、結局最後まで、その「行為」はいちども現れず消えていきます。(一方、「する」と答えるパターンの場合は、言った後でその行為が現に現れるので、「要求すると出てくる」という、マンド的な比較的難易度の低い=学習させやすいやりとりになります。)簡単にいうと、大人が「○○をする?しない?」と子どもに聞いて、子どもが「しない!」と答えて、大人がそれにしたがって○○をせずに済ませた場合、「○○」は結局「なかったこと」「話題にのぼっただけ」になるわけです。○○は、ことばの世界以外にはまったく登場していません。でも、「話題にのぼっただけ」ではあるものの、コミュニケーションとしては、「○○が話題になった(提案されて、断られた)」ということを双方が理解している必要があります(そうでなければコミュニケーションが成立していないわけですから)。そのために必要なスキルとして、前回の記事では、いわゆる「内言語スキル」をあげましたが、もう1つ当然に必要になるスキルが「する?しない?の対象になっている行為を理解していること」、つまり、「○○する?」と聞かれたときに「○○」ということばが示している行為を知っていて、理解できる、ということです。これは少し考えてみると意外と奥が深い話です。なぜなら、「○○」という行為とその名前を知っている(行為と名前がつながっている)ためには、「○○」という行為を繰り返し実行し、その都度周囲の大人が「○○」と言ってあげる、といった繰り返し学習が当然に必要になります。と、言うことは?「しない」ということばを教える際のターゲット行動としての「○○」という行為は、子どもにとって、一般的によくする行動である必要がある、ということです。常に「しない」行動だと、そもそもその行動を学習する機会がないので、その行動に名前をつけて学習させる機会が生まれません。「しない」のコミュニケーションの際には、その行動をしないで、「○○」という「行動の名前」を伝えるだけで、その行動をイメージしてもらわなければならないわけですから、その行動に「慣れ親しんでいる」必要があるわけです。でも、教えるときのコミュニケーションは、その行為を「する」ではなくて「しない」なわけです。ふだんからよくやっている行動であるにも関わらず、ある状況下では「したくない」と思うような行動、そういう行動でなければ、「しない」のコミュニケーションを教えるのにふさわしい行動ではない、というパラドックスがあるわけです。このパラドックスについては、さらにもう1つの(よりテクニカルに重要な)側面がありますので、次回はそれについても書いていきたいと思います。(次回に続きます。)