「聲の形」から考える、「いまここにある障害者いじめ」(3)

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このシリーズ記事では、いま話題のまんが「聲の形」をとりあげています。 聲の形 第1巻・第2巻・第3巻大今良時講談社 少年マガジンKC現在週刊少年マガジンに連載中のまんがで、単行本は現時点で2冊出ており、3月17日には第3巻が発売される予定です。前回のエントリで、「いじめ」とは、「公的な制裁システム」でカバーしきれない「不公平、アンフェアネス」を衡平化するための私的制裁システムであるということ、そして、「障害者へのいじめ」として考えられる構造には2つあり、1つは「よく分からないものを怖れ、忌避する」「異物を排除する」といった、ある意味昔からよく言われているような「単純な構造の」いじめ、もう1つは、「福祉による処遇を無効化させようとするいじめ」である、ということを書きました。今回は、この2つめの「いじめの構造」について、考えていきたいと思います。では、「福祉による処遇を無効化させようとするいじめ」とは、どんなものでしょうか?それはつまり、このようなものです。あるコミュニティに、障害ある人「Aさん」がいたとします。「Aさん」は障害があるため、日常生活にさまざまな困難をかかえています。また、場面によっては周囲の人に多少の不便や負担を求めなければならないことがあります。このような状況に対して、現代社会や行政システムは、さまざまな「処遇」によって「Aさん」の基本的人権を守り、より生きやすくなるような「仕組み」を作り上げています。これは、何もしなければ障害のない人と比べて毎日を生きていくことが著しく困難になる障害ある人のために、社会が「ポジティブアクション」をとっている(=障害ある人にさまざまな優遇措置を講じている)、それによって障害ある人とない人の間の「生きやすさの格差」を少しでも小さくしようという意図のもとに行われる「特別な処遇」です。そのような「処遇」には、たとえば次のようなものが含まれます。・手当てや税控除、費用免除、医療費補助などの様々な金銭的優遇。・特別支援学級・特別支援学校・障害者雇用枠、遊園地の特別パスなどの様々な「機会」の処遇および優遇。・アプローチのスロープや手すり、点字パネル、エレベータ、優先席などのバリアフリー型インフラの整備や優先使用権。・障害ある人に通路や席を譲りましょうといった話や、障害のことを理解し、歩み寄り、困っているときには助ける「べき」であり、それらにより多少の負担やコストがかかっても「仕方ない」という、「道徳・価値観」を持つことへの要請。このうち、最後のものと残りのものは少し性格が違います。最後のもの以外は、ひとことでいえば「モノ」「カネ」「仕組み」にかかわるサポートです。つまり、障害ある人のために、「特別に」健常者にはかけられないようなコストやリソースがかけられる、というものです。そして、これらのサポートは、主に公的な制度として「個人の外側で」提供されます。それに対して、最後のものは「ヒト」「ココロ」にかかわるサポートです。こちらは、障害あるヒトのために、「特別に」健常者には向けられないような道徳や価値観、考え方、行動が求められる、といったものです。これらのサポートは、(価値観そのものは外から来るものであっても)個人がそれぞれ「内面化」し、自己の価値観・行動原理として身につけ、実現していくことが求められる性格のものです。つまり「個人の内側」に形成される「サポート」ということになります。これとは別に、人々がひろく抱いている価値観として、・人はみな平等、公平に取り扱われるべきである。というものがあると思います。まあこれだときれいすぎるので、もっと本音に近いところで言い換えれば、こうなるでしょう。・私が不公平、不平等に取り扱われるのは許せない。少なくとも私は他人と公平・平等に扱われなければならないし、できれば他人よりも優遇を受けたい。さて、この最後の価値観と、先に整理したような「障害ある人への処遇」とは、どういう関係になるでしょうか?(次回に続きます。)