学校で、「光あふれて・・・☆」の第15号を配布させていただきました。UPしますので、お時間のある方は読んでみてください。 こちら から...
今日は私のことを書きます。この年度に私は自分を知る機会が多かったように思います。ごく軽くですがうつ病になったのです。うつ病って真面目な人がなりやすい心の病気、と私は思っていました。まさか自分がかかるとも思っていませんでした。家事も育児も手抜きばっかだもん(威張って言うな?!)そんな私ですが性格はやっぱり真面目ということになるのでなりやすいタイプではあったんですね。でも実際なってみて分かったことがいろいろありました。私に限ったことかも知れないけど、心の病気ではなくて、心と体のバランス...
ツヨは一言も話せません。インフルエンザでつらい時も、じっと黙ってつらさに耐えていました。目で私に助けを求め、ピタッと寄り添ってけっして離れず眠りました。元気になって、気が付いてみれば、ツヨは週2回しか幼稚園には行かないので、残すところあと、5回しか登園しません。が、卒園モードなのは私だけで、ツヨは卒園するなんて、夢にも思っていません。朝、幼稚園の制服を出してやると、自分からいそいそと着替えます。ブラウスにズボン、ジャケット。カバンを提げてスキップで出かけていきます。この楽しい日々が永遠に続くと、もしかして思っているかもしれません。小学校にはじき慣れるんでしょうが、説明できないことが不憫です。道を選択しているのは私だけど、歩いているのはツヨ。私達の声は、ほとんどツヨに届かないし、思い込みや独特のこだわりもたくさんあって、コトと一緒の小学校の特別支援学級には通えません。私の強い希望を聞いてくださって、幼稚園で専任の介助の先生をつけてくれたので、楽しく幼稚園に通うことができました。もちろん、参加できることとできないことは、はっきりと決まっています。幼稚園側も、できないことははっきりと断ってきます。私も、ほとんど納得して、引き下がります。できないことはできないからです。幼稚園に通うことで、顔見知りのお友だちも増えました。
( 新幹線は どんどん伸びて・・・近い将来は、悲願の北海道・上陸なるのでしょうか・・? )PTAのお便りに 新年度から変更になることが載っていました。「変更」新年度の授業時間1〜4年生 45分間、5年生以上 50分間。また月1回土曜日登校を設けます。 3時間午前授業。数年前のことですが、B区で 土曜日を 学校で学習などの支援に使いたいと申請した時は、土曜日を学習に使うなどまかりならん!と 強くお叱りをうけ反対され却下されたのですが・・・数年後には 小・中学校が土曜日に授業を行うことに認可が降りるようになったんだな〜〜と・・・教育は 変更が頻繁だよね〜〜まったく〜〜と思いながら お手紙を読んでいました。私は・・土日休みが基本生活なので・・・来年度からでよかった〜〜〜☆新体制は A校長先生カラーで何もかもが統一されてスタートします。今年度の計画は 昨年度ご勇退されたS校長先生の計画で作られた学園生活だったので・・・今年度の卒業で良かった・・・と 心から感じています。昨年度までのような 学校全体をつつみこむ日向のようなあったかい空気は 消えてしまい、みんな自分のことで精一杯の小さなパッケージ入りの 小さく小さくまとめこまれるように 追い込まれるような・・・そんな空気です。自主性が強い子供には 向かない学校になっちゃったな〜と思います。
地域のグループホーム協議会主催で、槙坪夛鶴子監督の映画「母のいる場所」の上映と講演会がありました。グループホームの方から事前に声をかけていただいた時に、次回作の映画「星の国から孫ふたり」が自閉症の映画であることで、個人的に賛助させていただいていることをお...
自分がまさにそうであるから説明も納得も自己完結出来るのだが、絵の才能というのは面白い程にはっきりしている。字を書くのが下手なのと似ているが、どうにも指先のコントロールがうまくゆかない。僕の字や絵は人から見ると信じられないくらい下手なようだ。ニューヨークに来たばかりの頃、日本人の友達と飲み会をしているときにテーマを決めて何枚かの絵を描いた事があったのだが、それは人を心底笑わせるのに充分な程に下手なようだった。先日、ベンの机を片付けていると何だかイラストめいたものが描いてあるノートを発見。よく見ると、上手に模倣した「ちびまる子ちゃん」だ。「あ、上手く描けてるな。息子とはいえ自分には無い才能があるものだな」と思いながら、自閉症の診断が出た当時に病院で言われたファイン・モータースキルの事を思い出した。「細かい手先の作業は難しいでしょう」との事だったので、あまり無理強いすることなく自由にさせていたのだが、めちゃくちゃでばらばらの大きさのアルファベットを書いていたベンは、不思議な字ではあるものの、少しずつ形を成してゆく。絵も同様に、訳のわからないものから次第に形やディテールを描くようになって、特に形にはかなり丁寧にこだわりを持ってゆくようになり、お気に入りのマンハッタンの摩天楼は必ずと言っていい程登場していた。
2月21日午前5時に次男英彦が急逝しました。前日20日入所している施設の夕食のベルがなっても食堂に来ないので、職員が呼びに行き、食事を前にして朦朧とした意識であったので、職員が声かけをして意識が戻って回復してきたそうです。養護学校高等部時代より「てんかん」があり、軽い発作が起きたかもしれない様子だったらしいです。 食事には手をつけずに「てんかん」の薬を飲み、血圧を測定し、下が70、上が140くらいだったようです。 看護師の指示で水を飲ませて、居室で安静にし、血圧をチェックしながら、午後11まで1時間ごとに声かけをし、その後就寝。午後6時に担当の職員が声かけをしたが、爆睡しているかの様子だったので、そのまま寝かせて、午前7時の起床時に起こしに行ったところ様子がおかしく、脈もなく、女子棟の宿直職員と看護師を呼び、救急車を手配し、心肺蘇生とAEDを使って蘇生を試みたらしいです。救急車到着後、病院に搬送されましたが死亡が確認されたようです。7時40分に施設から連絡があり、7時50分に救急車で病院へ向かうので、25分程度で病院に着く予定だから、病院に来て欲しいとのことだったのですが、そんなに切迫した感じではなかったので、病院へ行ってから本年度最終回の乗馬体験活動のボランティアに行くつもりにしていました。先に病院へついた家内から電話で泣きながら「もう亡くなっている。」の知らせを聞いてあっけに取られた状態でした。
( ST(言語)の訓練が終わった俺様♪ これから英・英語の公文に行きます♪ )今日は 都立高校の入試のため、9年生は学活が終わったら(出席をとって)下校というスケジュールでした。今月は 入試月間なので、変則な時間になっているので、その日にあわせて STや歯科を入れることができました。今日は 楽しいSTの日です〜といっても、まこちゃんの苦手な日本語なので、むずかしいと感じてはいるのですが、STの訓練をはじめた頃に比べると 全く違って 取り組みはとても良くなっています。それでも 思春期のむずかしさ・・・というよりは 精神的に と〜〜っても幼いので、この年齢でこのレベルのことをやっちゃうわけですか??というような問題を起こすことがあります。